「尚巴志ハーフマラソン in 南城市大会」での救命事例
2023年11月5日(日)、「第20回 尚巴志(しょうはし)ハーフマラソンin南城市大会」において、ランナーが倒れて救急搬送されるという事案が2件発生。その2件とも心停止によりAEDを使用する事態となりましたが、どちらも無事に蘇生することができ、お二人とも後遺症なく回復されたとのこと。医師からも賞賛されたこの見事な処置はいかにして成し得たのか、貴重なお話を伺ってきました。
2例もの救命を果たしたオムロンのAED
「尚巴志ハーフマラソン in 南城市大会」について
南城市は、神の島久高島、世界遺産である「斎場御嶽(せーふぁうたき)」をはじめ、深い歴史を刻んだ文化遺産・史跡が残る沖縄南東部の市です。「尚巴志ハーフマラソン in 南城市大会」は、そんな南城市で開催される21.442kmの市民マラソン。1429年に初めて琉球王国を統一した尚巴志(しょうはし)王の名を冠するマラソンです。
今回、オムロンがサービスを開始したばかりのスポーツイベント向け短期レンタルAEDをお使いいただき、無事救命されたということで詳細を伺いました。
マラソンコースの特徴
本マラソンでもっとも大変な地点は5km地点の新里坂(しんざとびら)で、高低差150mもある1.2kmを登り切る心臓破りの坂となっています。そのあと平坦なコースを経て、11~15kmに渡って下りがありますが、そこを越えた関門規制が入る13km地点手前の「ニライ橋・カナイ橋」は、美しい海岸を一望できる本コースのクライマックス。ここを下り終えると、あとは平坦な道のり。ヤシの並木ロードを抜け、一気にゴールを目指します。
救命時の状況
当日は、昼頃に一時にわか雨が降る天気でしたが、大会開催中はほぼ快晴。湿度は高めの70~80%だったようです。今回のケースでは、心停止で救急搬送された事例が2件発生し、その2件とも無事に救命されました。入院治療をすることになったものの、後遺症もなく元気に生活されているとのことです。それぞれどのような状況だったのか見ていきましょう。
「走っていて倒れた」と聞くと、普段あまり運動していない方がマラソンをして体に変調を来したのかな、と思う方もいるかもしれませんが、今回のケースをみてわかるのは、どちらのケースも普段から一般の方よりは運動をされている方に心停止が起きてしまった、ということです。
60代の男性は1回の電気ショックで蘇生できましたが、10~20代の男性は蘇生までに9分もかかってしまいました。こちらに掲載の生存退院率を見ても、これで後遺症なく元気に復活されたのは奇跡的だということがわかります。迅速かつ継続して懸命な救命措置が続けられた結果であることは疑う余地はありません。担当のドクターからも「2人とも現場の処置が良かったから助かった」とのお言葉をいただいたようです。
「ゆいまーる」の精神が救護体制を強固なものに
沖縄ならではの救護体制を目指して
ここからは、どのようにして2名もの要救護者を救うことができたのか、南城市の具体的な取り組みをご紹介していきましょう。
「尚巴志ハーフマラソン」が開催された南城市のある沖縄県は、マラソンをはじめ、トライアスロンなどのスポーツ大会が非常に盛んです。那覇マラソンが開催された1986年以降、県内で市民マラソンが一気に広がりましたが、その後、2007年の東京マラソンを機に市民マラソンブームはさらに拡大し、一時は「尚巴志ハーフマラソン」だけで参加者が1万2千人を超えたときもあったそうです。その理由として、同県は旧暦行事のお祭りが多く、スポーツ大会もそうしたお祭りのように行われていることもあるからだといいます。そのため、「大会」といっても肩ひじ張らずに参加される方も多いとのこと。「遅いあなたも主役です」のキャッチフレーズで「海洋博公園全国トリムマラソン大会」が40年続いているのもそうした下地があるからでしょう。
しかし、そんな「ゆるい」参加者が多くても、「尚巴志ハーフマラソン」の救護体制は決してゆるいものではありません。もともと県内の市民マラソンは救護本部にしか医師を置いていませんでしたが、「尚巴志ハーフマラソン」はコース上に医師と看護師を配置し、仮診療所申請を行ったそうです。また、スムーズに運営できるように、医師しかできないことは医師が、それ以外の事務連絡や備品調達は事務員が対応するようにし、役割分担を明確化しています。「現場で起きたものは現場で」の精神で記録も時系列できちんと残しているため、過去のこうした記録を元に「13~16kmあたりで救護要請が多い」というデータから救護の配置なども検討しています。「応援が少ないエリアで気が抜けて倒れている人が多い」という事象があれば、沿道の人が少なくなりがちな場所でフラダンスのエリアをもうけて人寄せをしたりもしました。さらに、かち割り氷のボランティアを動員して大量に用意する、脱水症を防ぐために利尿作用があるアルコールやカフェインの飲料を1週間前から控えてもらうなど、他県の対策や医師からの情報も積極的に取り入れ、かつ沖縄にあったやり方にブラッシュアップして常に対策を進化させているそうです。
これだけの対策をしながらも盲目的に規模を大きくすることはせず、限られた医療資源で対応できるよう、2014年の第13回大会で定員を8500人に削減するなど、安全性に配慮して万全の体制を整えるようにも努めました。
こうした優れた対応をとれた背景には、沖縄の歴史も関係しているようです。戦後、沖縄には医師が少ない時期があり、看護師に近い立場の「医介護補」と呼ばれる人たちで対応せざるをえない状況になっていました。病院は一般救急で搬送される人がメイン、そうでない人はできるだけ現場で対応する、という風土があるそうです。
人を巻き込む工夫も大切
そんな救護体制に欠かせないのは医療関係者ですが、「助けられる命を救いたい」という一心で対応いただくわけですから、ドクターや看護師にさらに力を発揮していただくためにも、救護体制を整えておくことは重要だといいます。そこで、医師のアドバイスを受けながら綿密な計画を立て、資料などで共有していくわけです。一般社団法人 スポーツツーリズム沖縄の喜久里 代表理事によれば、そんなドクターの皆さんとの関係をさらに強固にするアイテムがあるとのこと。それは、「協力したくなるようなかっこいいユニフォーム」! 心意気でご協力いただけるドクターの皆さんには、こうしたユニフォームも心を一つにして大会を迎えるのに役立っているようです。
また、大会を運営する側のドクターや関係者だけでなく、大会には直接タッチしない沿道の住民を巻き込むのも大事だといいます。以前は、「●時から交通規制が始まる」とだけお知らせする紙を配布していましたが、医師からのアドバイスを元に「いざというときのアイシングの仕方」といった情報をウラ面に載せました。すると、何もお願いしていないにもかかわらず、当日氷を用意してくださった住民もいたそうです。「救助活動を手伝って」だと腰が引けてしまいますが、救護活動の知識として周知しておくことで、いざというときに対応しようと考える人が出てくる。影の「救護ボランティア」といえるかもしれませんね。
このように人々の救護の連鎖につながる考え方を沖縄では「ゆいまーる」と呼ぶそうです。これは、那覇空港と市内を結ぶ「ゆいレール」の名前の由来にもなった言葉で、「結い」と「回る」が合わさった沖縄の方言。「相互扶助」を順番に行っていく「助け合いの心」を意味しています。大会当日、ゴール付近で倒れた方を助けるため、誰も何も言わないのに自然と人垣ができ、救急車が入ってくるルートとランナーがゴールするルートに分けられていたそうです。とても感動的な光景だったとのこと。
最後に、オムロンのAEDレンタルについて伺うと、やはり小型軽量なのがこうした大会運営には非常に都合が良く、救命活動にも有利とおっしゃっていました。小型のため、ご自身で用意されたリュックに入れてもかさばらないうえ、標準の収納ケースにはファーストエイドキットが入れられるのも良かったそうです。
また、救命後に波形データが必要になった際も、オムロンのデータ抽出サービスが早期に対応できたことで必要なデータが早い段階で手に入り、治療や診断に役立ったとのこと。
現場の皆さんの懸命の活動が一番の要因ですが、オムロンもお二人の命を救う一助となり、大変うれしく思います。「ウチナンチュ(沖縄の人)」の美しい理念も学べた心に残る取材でした。
街中でも見られたオムロンのAED
沖縄県にはAEDが多いと伺っていましたが、喜久里様によればそれは沖縄にコンビニが多く、そこにはけっこうな割合でAEDが設置されていたり、建設現場などに置かれていることも非常に多いためとのことでした。
実際に街中でAEDはいくつか見かけましたが、宿泊したホテルにももちろんありましたよ。南国の風景にも映える印象的なオムロンのAED。これならいざというときもすぐに見つけることができるでしょう。